
ニュージーランドに来て早いものでもうすでに6 年の歳月が流れました。
この間のすべての出会いと出来事にいまはただ感謝、感謝の一言に尽きます。
右も左も分からないままニュージーランドに降り立ったその翌日からワークビザの申請、家の手配に子供たちの学校、仕事の紹介などなどニュージーランドでの生活基盤のスタートと確立を1 から10までお世話してくださった中野宏さん。
また、奇跡としか思えないスージーとの出会い、永住権取得のためのあらゆるサポートをしてくれました。
わらNZ の開設と起業に関して、金融機関や弁護士との折衝、電気、ガス工事の手配から、日々の暮らしの細かい具体的な援助、そのうえ子供たちの学校生活のアドバイスまで、まさにスージーは私たちにとってニュージーランドの母親でした。
子供たちの留学の際には保護者になってくれ、NZ での生活が始まってから親身になってアドバイスをしていただいた大阪屋の弓削さん。
この人たちとの縁なくして、私たちのニュージーランドの生活はあり得なかったと思います。
見も知らぬ他人のために、こんなにも善意に満ちた、利他に生きる人に出会えて、人の世の情けを改めて知ることができました。
「出会い」
人の世の出会いは すべて " 必然"
「はじめまして」は「おひさしぶり」
そして 「やっとあえましたね」
小林正観
まさにこの詩の通り、私たちがニュージーランドに来ることを、知っていて待っていてくれていたようでした。
その後、多くの人々に支えられ、応援していただいたお陰でわらNZ は、私たちの予想をはるかに超えて発展してきました。私たち家族にとっても、かけがえのない貴重な体験と素晴らしい時間が与えられました。
旅好きの私たちにとって、世界の箱庭と呼ばれるニュージーランドはまさに天国でした。
何度行ってもおおらかな気持ちにさせてくれる優雅な町クイーンズタウン、雄大な姿で優しく迎えてくれるマウントクック、息を呑む絶景のミルフォードサウンド、異次元空間だった氷河ハイキング、まるで天空の丘にいるようなスキー場マウントハット、刻々その湖水の色を変える善き羊飼いの教会のあるレイクテカポ、山と緑と湖の絶妙のバランスの美しさを誇るレイクマセソン、ポプラの紅葉とブドウ畑と湖のコントラストが楽しめるワナカのワイナリー、触れるくらいの距離で見ることのできるペンギン、オットセイ、イルカ。
心に残る景色は尽きません。またニュージーランドならではのアクティビティー、雪上セスナで降りるタスマン氷河、まるで空中散歩をしているようなパラパンティング、かつてないスリルと爽快感を味わえたけれど、もう二度としたくない上空4500メートルからのスカイダイビング、そしてなんと言っても一番楽しかったのが、生きた動物との対話も楽しめる乗馬。
日本では食べること以外に趣味のなかった私にとって、とても新鮮な体験でした。
クライストチャーチでの日常生活は、忙しくも暇でもなく丁度いい加減の間隔でお客様が来てくださっていたので、私たち自身がゆったりとした気持ちでお迎えすることができ、双方とも快適な時間を共有できたと感じています。
日本と違い、ゆったりとした時間の中でお気に入りのレストランでの食べ歩き、オーガニックカフェや我が家のウッドデッキでのコーヒーブレイク、サンデーマーケットでのショッピング、リカトンブッシュやハグレーパーク、サムナビーチでの散歩やジョギング、庭の芝刈りに庭木や花壇の世話、裏庭の小さなベジガーデンで野菜作り、バドミントンに車庫での卓球、雨の日にはベッドやテーブル作りのクラフトタイム。
こうしてニュージーランドは何かに追い立てられることも急がされる事もない時が流れ、まさにかけがえのない至福の時間と空間を与えられました。
前回も書きましたが、昨年、大木の精霊から次のようなメッセージをいただきました。
『これまで積み上げてきた、たくさんのものを手放す時期がきています。たとえばお気に召さないかもしれませんが、小さな瞳を輝かせた少年が自分の夢の実現を目指して、全力を傾けて駆け抜けて来たように思います。その瞳の輝きは今もいささかの衰えも見せず、自分の役割もさらに深く理解し始めています。けれど大いなる形を現実のものとするためには、手に入れたものを手放し手元にはたくさんの思い出と大きな幸福感だけに留めることがより高いあなたとのつながりのために必要であるように感じています。どうか志を高く大きく新たな目標を掲げて光を見ていただけると嬉しいです。落ち着くということと一時休むということは似て非なるものです。落ち着く必要はありません。よい兆しです。』
そう、その目標がこの一年ではっきり見えてきたのです。
私のテーマ「食を通して生き方を探る」「幸せは食にあり、食は幸せなり」私の原点、小川法慶先生から教えていただいた重ね煮を、より多くの人に食べて頂き、おいしく楽しくありがたく健康で幸せな人生を送るお手伝いがしたいと強く願うようになりました。
ニュージーランドに来て、シュタイナー農法を実践している農場で、その農法の核心となる調合剤を作らせてもらっている時に、はっと気がついたのです。「これって、重ね煮と同じ!?」この調合剤の作り方は、牛の角の中に牛糞を詰め、半年間地中に埋めて、熟成させたその牛の糞を少しだけ大きな樽の水の中にいれ、その水がロウト状になるまで回転させ、それを一旦破壊し、次に反対方向に回転させる、それを一時間もの間休まず続けて作ります。
水が回転し渦を形成したとき、宇宙を形成するスパイラルと同調し、その宇宙エネルギーが、調合剤を作っている人の愛と祈りとともに、水の中に記憶として取り込まれるそうです。
桶の中で繰り広げられる回転と破壊はカオス(混沌)とオーダー(神の意思、調和)の繰り返しで、まさに宇宙の創造が行われているとされています。
その調合液を畑に蒔くことで大地は宇宙エネルギーと、人間の愛と祈りに満たされ、そこで育つ作物は私たちにとって最良の食べ物となるのです。
こんなあやしげな農法がドイツを中心に世界中に広まっているのです。
この農法で作られた作物には「DEMETER」というブランドがつけられ、欧米ではもっとも安全で信頼度の高い作物として流通しています。
自然医薬品、自然化粧品メーカーとして世界的に名高いWELEDA 社の原料もこのDEMETER が使用されています。
この調合剤を作っているとき、重ね煮の料理を作っている時と同じ感覚が思い出されました。
自然の力(オーダー)で成長し、調和の取れた生命として存在する野菜を包丁で切り分けてカオスの状態にして、鍋の中で整然と重ね、火というエネルギーを加え、オーダー(調和)が始まる。
もちろん野菜を切るときも、鍋に入れるときも、自然に対する感謝と祈り、そしてビタミン愛を入れて料理します。
対象や方法は異なるけれど、双方とも鍋や樽の中に調和された小宇宙を創造する、同じことをしているのだと直感したのでした。
このニュージーランドに来ることによって、30 年前、小川先生から学んだ重ね煮に、新たな意味と方向性を見出せました。
武道には、守・破・離という考え方があります。
まず、師の教えを忠実に守り、技を磨き、精進を積み重ねる。
その後、基本を尊びながらも他の教えも学び、" ねばならない" を破壊していく時期。
そして最後に、創造性と独創性を加え、師の教えを離れ、個として立つ。
その人のオリジナリティーを活かした技を確立すると同時に、自己実現を果たすという考え方。
私も無意識のうちに、食養料理の重ね煮を、味においても見た目においても基本を忠実に守りながら、料理屋としてお客様からお金を取れる料理に変容させていたように思います。
日本の伝統文化の世界には決してしてはならない、禁じ手というものがあります。
マクロビオティックの世界にも同様で" ねばならない" がたくさんありますが、なかでも根幹をなす思想に「身土不二」といって、人はその時期、その季節のものを、しかも出来れば12 キロ四方のものを食べるようにという教えがあります。
私はこの6 年間、ニュージーランドに住みながら、9000 キロ離れた、しかも季節まで全く逆の日本で生産されたお米・味噌・しょうゆ・昆布・わかめ・ひじき・千切り大根・高野豆腐を食べるという禁じ手中の禁じ手のなかで暮らしてきました。
マクロビオティックの思想からすれば重大なご法度を犯してきました。
しかしそのことが、イコール悪であり不健康にはつながっていません。
良し悪しということではなく、大原則の身土不二を無視した私たち家族が、6 年間健康で満ち足りた暮らしが出来てきたという事実が存在するということです。
この6 年間で重ね煮も大きく進化しました。今重ね煮は、野菜の上だけでなく、一番下、鍋底にも塩を振って野菜を重ねています。
そのうえ、鍋底だけでなく、野菜の各層の間にも、ほんのわずかですが塩を入れて重ね煮するようになりました。
これは佐賀の矢山利彦医師の研究によってもたらされました。
鍋底や間にほんのわずかな塩を入れることで、味はもちろんのこと、体にとっても大きくプラスに作用することが、再現性(誰が何度行っても、繰り返し同じ結果が得られること)をもって検証されています。
詳しくは、料理教室やセミナーでお伝えしたいと思っています。
この一番下に塩をふるということは、マクロビオティックを勉強した人であれば、「まさか!そんなばかな!絶対ありえない!もっとも陽性な塩を、一番下にいれるなんて!」という反応が即座に返ってくるほどのご法度なのです。
もちろん私自身も抵抗がありました。
しかし実際に作ってみて、上下に塩をした重ね煮は、あきらかにおいしく、体の反応もいい状態になるのです。
まさに、事実は理論を越える。
20 歳で小川法慶先生に師事し、友人からは玄米バカと言われるほど教えを守り、3 0 代は生きるため教えを破り、4 0 代ニュージーランドに来て教えを離れ、これから迎える5 0代、個として立ち、創造性とオリジナリティにあふれた重ね煮と真のマクロビオティックのあり方を考えています。
こう考えた時、わらの料理に伊藤真愚先生が送ってくださった言葉を思い出しました。
『日本は精進料理、懐石料理などの食文化を構築しましたが、形式に陥りました。しかし、型を残してくれてあるを有り難く思います。もう一度原点に還り、本に務めつつの いのちの吹込みが" わら"で始まりました。素材、調理、器、雰囲気、そして作る人と食べる人との出会いと一体感が新しい食文化を創造していくのでしょう。日本文化に栄光あれ。』
同時に、小川茂年先生の詩も思い出されました。
『わらの食べ物の味は、名前の通り" 和楽" だ。
和とは、出会いを喜んでいる味だ。
みんなととけこんでいる味だ。
ひとりひとりがいかされている味だ。
楽とは、与えられているものが、与えるものになるときの自由さだ。
生かされていることのなかで、本当に生きていることが味わえる命の味だ。
わらべがこころから歌う無心さが聞こえてくる。
天と地と一緒に、わらへ合えるやさしさがある。
そして、大和の風土が生み出している楽しさとなっている。』
ここ一、二年、日本へ帰るたびデトックスという言葉をよく耳にするようになりました。
いろいろなサプリメントもあるようですが、排毒作用といえばなんと言っても、玄米の持つ力は多くの人が認めるところでしょう。
特にその玄米を黒炒りにして煎じて飲むと、よりいっそう高い効果が得られると言うことも、食養の世界ではよく知られているところです。
その黒炒り玄米の生みの親も、小川法慶先生なのです。その黒炒り玄米が、シュタイナー農法をとりいれたマイセンさんのお米と、松尾信一郎さんの祈りと技術(10年間に及ぶ研究によって玄米に20時間休まず回転と火のエネルギーを加え続けると言う、シュタイナー農法の調合剤やホメオパシーのレメディーの作り方の技法をとりいれた製法)によって、稲の記憶を最大限に活かす玄米コーヒー" メモリザ" として完成したのが昨年の暮れのことです。
詳しくは同封の玄米コーヒー物語をお読みください。
小川先生から頂いたこの重ね煮と玄米コーヒーは、縁ある人々によって進化と発展を遂げました。
また私の中で、30年の歳月をかけて、守・破・離が進行してニュージーランドではっきりとした方向性が出来ました。
私はこれを日本の遺産、人類の遺産の一つとして、後世に伝えたいというはっきりとした目標を持って、日本に帰ります。
レガシー(遺産)脈々と連なる命 過去から未来へ流れる時間 自分の体験を確信をもって伝えることが、次の世代にバトンタッチされる
遺産になる。
中野裕弓 ガイアカードよりもう一つのわたしのテーマ「まず、よき父親、よき夫、よき料理人」これこそがニュージーランドにきた最大の理由でした。
『愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。
両者が愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。
平和と潤いの家庭が築けたら、隣人を愛しなさい。
自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ、隣人を愛せません。』
マザー・テレサ
日本では忙しすぎて、真剣に向かい合うこともなく流されていましたが、ニュージーランドでは充分な時間と濃密な関係が持てました。
そのお陰でいままで気づかなかったことや、見過ごしてきたことなど、ありとあらゆることが表面にでてきて、親子関係も夫婦関係も最悪で危機的な状態に何度も陥ってしまいました。
「こんなはずじゃなかった!」「こんなはずじゃなかった!」の連続、不平と不満、愚痴と泣き言。
そしてなにより、自分自身の弱さ、身勝手さを嫌というほど味わいました。
しかしそのお陰で、よき父親、よき夫を目指さなくていいんだ。
まずは自分から。
朝から晩まで、24時間、誰よりも一番長く付き合っているのは、自分自身だということに気付きました。
他人に対してのよい人をやめ、自分にとってよい人になる。
自分を愛することしか、何事も始まらない。
中野裕弓 ガイアカードより
またしてもガイアカードに救われ、大きな気付きを頂きました。
(一家に一つはガイアカードをお勧めします。)
連絡先:0465"23"8828
ホームページ:
http://www.romi-nakano.com
そしていまは、その危機的最悪の状態を経験したお陰で、なによりわたし自身が楽になったし、家族中に、穏やかな風通しのいい平和な空気が感じられるようになりました。
ニュージーランドの暮らしが、私にプレゼントしてくれた最大のものは「よき父親、よき夫」とがんばらなくていい。
まずは自分からということであり、ひとにとっての幸せは、社会的地位や事業での成功ではない。
今ここにある、おはようからおやすみまでの、この暮らしの中にこそあると実感させてくれたことです。
こんな気付きを与えてくれた長男の謙雄にありがとう。
二男の耕太にありがとう。
娘の藍にありがとう。
妻のかおりにありがとう。
船越康弘
こんな事を言うと百姓屋敷わらを支えて下さった方々に申し訳ないのですが、いきなりわらを閉めてNZに行くと言うことは、いずれ日本で営業する時には客足が遠のいて、ぐっと客数が減るということを期待していました。忙しすぎたのですね。
ところが、実際にシュタイナースクールに通うのは私たち子供です。
最近になってシュタイナーの思想とは何かを学び分かるようになってきました。
こうしてわらでの暮らしを振り返って素晴らしいものだったな0と思えたのも両親が15 年間続いたわらを閉め、家族だけで暮らす時間を作ろうとニュージーランドへ行くことを決心してくれたお陰だと思います。
また、親が有名になるにつれて、親と比較されたり、お客様から注意されることも多々ありました。
今は、修行の身ですが、日本とNZ で経験した思いや体験を生かして、3年後には近き仲間と会社を立ち上げ、食を中心とした流れで日本の農林水産業、社会、そして経済に貢献したいと思います。
でも、それと同時に環境が違えば、他人の生活習慣や、常識ってこんなにも変わるのだと、強く再認識させられたのも事実。
そこからだ、また新しい幕が開けたのは。


今、私達夫婦の寝室兼書斎でこの原稿を書いています。
それからNZ での料理の味が大きく変わりました。
今夜のメニューはご飯にゴマ塩、味噌汁、ゴボウの金平、アラメの煮物、すべて重ね煮です。
私達の生活は日本に比べれば収入が安定していませんが、自分達の使うベッドやテーブルを作り、岩のりを採りに行き$2の服をリフォームして着る。
20 歳のとき、桜沢如一氏の「自由に生きる」という言葉に魅了され、自由を追い求めてきました。
そのことによって人生はよりダイナミックに楽しい方向へ向かったように思います。


長男が9歳、次男が7歳 長女が4歳の時、わらの家族旅行が始まりました。
移動手段はワンボックスの愛車ハイエース。(現在13年目、そして24万キロですが、NZでも現役で大活躍です。)
長男が、NZに留学するまでの10年間をかけて、日本中のすべての都道府県を旅して回りました。
伊藤真愚先生は「幸福とはリフレッシュなり」とおっしゃっていました。




市内のエイヴォン川やハグレーパークではカルガモの雛がかえり、あちこちで母親に連れられたよちよち歩きの子ガモを見ることが出来ます。
四年前、言葉はもちろん、右も左も分からぬまま始めたNZの生活が、こんなにも充実したものになるとは予想もしませんでした。
ステーキを焼く時、鉄と鉄が触れ合う際の不快音をなくすため、ヘラは特注の木製のものを使い、優しく丁寧に、しかし絶妙のタイミングで食せるように焼いてくれます。
その夜は5年前に「わら」を卒業した、元研修生の馬渕好子さんが営む「与田切自然館」が私たちを待っていてくれました。


私私達家族が、NZで暮らし始めてもう2年半が過ぎました。
この間に北海道から九州まで全国から200名以上のお客様が来てくださいました。
そんな中、今も続いている食べ物があります。

また、こうした作業を通じて、クライストチャーチ中の材木屋さん、資材屋さん、キッチンショールームを知ることができました。
以来私は、自分自身と平和に暮らすということを目標に生きてきました。
この間に北海道から九州まで全国から200名以上のお客様が来てくださいました。
そんなこんなで2週間の営業を終えた後、NZに戻って早々、食堂の改装工事が完成した翌日には、ハガキ道の坂田道信さんのツアーが来てくださいました。



シュタイナーの言うように、農、食、医、経済のあらゆる分野において、今後精神性や霊性抜きには語ることはできません。
坂田道信さんは「真理は書物の中には無く、事実の中にあることを学びました。
私たちがニュージーランドに来て、早くも1年
先へ進むたび「もうだめだ!」と絶望し、いやいや「Ne
他にも一番困ったのは、調理師免許を取るために
日本ではストレスがいっぱいだったかおりも、こちらに
日本で生まれた合気道が9000km離れたニュージーラ



